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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和50年(ネ)94号 判決

控訴人

小泉敏久

右訴訟代理人

水島亀松

外二名

亡藤江友三郎訴訟承継人、被控訴人

藤江冨子

外四名

被控訴人

室四郎

株式会社シヤルム

右代表者

村本岸

被控訴人

小西憲三

以上八名訴訟代理人

奈賀隆雄

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  当審における訴訟承継により原判決主文第2項中藤江友三郎関係部分を次のとおり変更する。

亡藤江友三郎訴訟承継人被控訴人藤江冨子同藤江武憲、同棚橋貴子、同藤江實、藤江豊が原判決別紙目録(一)(これを引用する)1記載の土地につき賃借権を有することを確認する。

3  控訴人が当審において追加した予備的請求を棄却する。

4  当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一原判決別紙目録(一)記載の各土地(以下まとめて本件各土地ともいう)が元亡小泉義久の所有であつたこと、亡藤江友三郎が同目録1の土地を、被控訴人室四郎が同目録2の土地を、被控訴人株式会社シヤルムが同目録3の土地を、被控訴人小西憲三が同目録4の土地を、それぞれ亡小泉義久から非堅固の建物所有の目的で賃借したことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば

1  亡藤江友三郎は、昭和二一年六月ころ訴外小泉義久から当時の富山市総曲輪一〇一番地の一部宅地22.048坪(以下甲地という)を、非堅固の建物所有の目的で期間の定めなく賃借し、同地上に建物を建築し所有したこと、

2  被控訴人室四郎は、昭二一年八月ころ訴外小泉義久から右同様の契約内容で同所同番地の一部宅地22.048坪(以下乙地という)賃借し、同地上に建物を建築し所有したこと、

3  被控訴人株式会社シヤルムの前身株式会社東電社は、昭和二四年ころまでに訴外小泉義久から右同様の契約内容で同所一〇二番地のうち東側の一部宅地33.92坪(以下丙地という)を賃借し、同地上に建物を建築し所有したこと、

4  被控訴人小西憲三は、昭和二一年四月ころ訴外小泉義久から右同様の契約内容で同所七番四および同一〇一番の一部宅地合計35.616坪(以下丁地という)を賃借し、同地上に建物を建築し所有したこと、

5  訴外村本岸(当時は内多岸)は昭和二五年五月ころ株式会社東電社の経営者から同社の経営権、株式一切の譲渡を受け、同社の商号を株式会社シヤルム装苑、目的を服装雑貨類一般小売業と変更し、丙地上の建物の一部を訴外山中利貞に賃貸し、その余の部分を同社において使用して丙地の使用収益を開始したところ、訴外小泉義久との間に紛争を生じ、その結果、同社と訴外小泉義久の権利関係の明確化のため公正証書を作成することになり、同年六月一五日同社と訴外小泉義久間で丙地につき期間を同年六月一日から二〇年間とする等の内容の賃貸借公正証書が作成されたこと、同社はその後商号を株式会社シヤルムと変更して今日に至つていること、

6  訴外小泉義久は賃借権の譲渡等による紛争の再発を懸念し、その後亡藤江友三郎、被控訴人室四郎、同小西憲三らに対し賃貸借関係の明確化を求めた結果、同年九月九日亡藤江友三郎との間で甲地につき、同年九月一四日被控訴人室四郎との間で乙地につき、同年九月二九日被控訴人小西憲三との間で丁地につき、それぞれ期間を同年六月一日から二〇年間とする等の内容の賃貸借公正証書が作成されたこと(なお、小泉義久と被控訴人小西憲三間の公正証書((甲第二号証の四))の賃貸土地の表示は丁地とは異なるが、これは賃貸土地の地番につき当事者間に記憶ちがいがあつたことによるものと認めるのが相当である)、

7  その後昭和四二年二月換地処分により前記富山市総曲輪一〇一番、同一〇二番の両土地に対する換地として同市総曲輪三丁目四番一四の土地が、同市総曲輪七番四の土地に対する換地として同市総曲輪三丁目四番一五の土地がそれぞれ指定されたが、換地は従前の土地が一部減歩となつたのみで従前の土地がそのまま換地として指定されたものであり、亡藤江友三郎外三名の賃借権の目的となる換地の部分が指定されたか否かは明らかでないが、亡藤江友三郎外三名の使用収益する土地の範囲は一部減歩になつた外は当初から今日に至るまで変わりがなく、前記換地処分の後も後記のとおり訴外小泉義久の賃貸人の地位を承継した控訴人と亡藤江友三郎外三名の賃借人との間で賃借権の対象となる土地の範囲についての争いがなかつたこと、

が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、訴外小泉義久と亡藤江友三郎外三名との間において、それぞれ前記認定の時期に期間の定めなく、従つて借地法第二条第一項により存続期間は三〇年として成立した甲、乙、丙、丁各地の賃貸借についてその後昭和二五年に各当事者間でその存続期間を昭和二五年六月一日から二〇年間と変更する合意が成立し、その後換地処分後において控訴人と亡藤江友三郎外三名との間で従前の土地賃貸借の対象地甲、乙、丙、丁の各地に照応する換地の部分は原判決別紙目録(一)、1234の各土地とする旨の黙示の合意が成立したものと認められるから、亡藤江友三郎は同目録1の土地に、被控訴人室四郎は同目録2の土地に被控訴人株式会社シヤルムは同目録3の土地に、被控訴人小西憲三は同目録4の土地にそれぞれ存続期間昭和二五年六月一日から二〇年間の賃借権を有していたものといわなければならない。

被控訴人らは一たん存続期間を三〇年間とする合意が成立した後に二〇年間とする合意が成立しても、そのような合意は借地法第一一条に照らして無効である旨主張するが、一たん成立した昭和二一年ないし昭和二四年から三〇年間を存続期間とする非堅固の建物所有目的の借地契約について、昭和二五年になされた存続期間を昭和二五年六月一日から二〇年間と変更する合意は借地法第二条はもとより借地法第一一条所定の各法条に反するものではなく、被控訴人らの右主張は採用できない。

被控訴人らはさらに、右存続期間短縮の合意にあたつて訴外小泉義久は期間満了後も引続き契約を更新する旨約定したと主張し、〈証拠〉中にはこれにそう部分があるが、右各部分は〈証拠〉に照らしていまだ信用できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

二訴外小泉義久が昭和二六年七月一七日死亡したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、訴外小泉義久は昭和二六年六月一四日控訴人に対し当時の富山市総曲輪一〇一番、同一〇二番、同七番二の各土地を含む不動産、動産等を遺贈する旨の公正証書遺言を適式になしたことが認められるから、控訴人は前記訴外小泉義久の死亡により右各土地の所有権を取得し、これによつて亡藤江友三郎外三名との賃貸借における賃貸人たる地位を承継したものである。

本件各土地が控訴人と、その余の小泉義久の相続人らとの共有である旨の〈証拠〉は前掲各証拠に照らして措信できない。

三前記一に説示したところによれば、亡藤江友三郎外三名と控訴人との間の本件各土地に対する賃貸借契約は昭和四五年五月三一日限り期間満了となつたものであるところ、控訴人が同年六月四日引続き本件各土地上に建物を所有して使用収益を継続している亡藤江友三郎外三名に対し、使用継続につき異議を述べたことは当事者間に争いがなく、右借地権の消滅後遅滞なく異議を述べたものと解するのが相当である。

四そこで、控訴人の異議に正当事由があつたか否かについて検討する。

1 借地契約の存続期間の終了後借地人が借地上に建物を所有し使用を継続する場合、賃貸人が異議を述べるにつき正当事由を具備するか否かの判断の基準時は、賃貸借が更新された場合の始期、すなわち、従前の賃貸借の期間満了時およびこれに接続する遅滞なく異議を述べるべき時期と解するのが相当である。もつとも右基準時以後に生じた事情であつても、基準時においてすでに近い将来に生ずるものと予想されていた事実が実現し、或いは計画の段階にあつたが、その後具体化された場合、逆に実現、具体化の余地がなくなつた場合等はそのことを正当事由の有無の判断の資料とすることが相当であり、また、基準時以後に発生した事実であつても基準時の事情を認定するについての間接事実となしうることはいうまでもないところである。

2  よつて、本件について検討するに、〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

(一)  控訴人が昭和四五年六月当時亡藤江友三郎外三名に対し本件各土地の明渡を求めたのは、本件各土地全部を敷地としてビルを建築し、その一部で長男である訴外小泉泰久にフルーツパーラー、フアストフード売場、化粧品売場等を併設した薬局(ドラグストア)を経営させることを目的としていた。当時訴外小泉泰久は大阪薬科大学薬学部一年生であつたが同人も薬局開設を望んでいたもので、昭和四九年三月には同大学を卒業し、同年四月薬剤師国家試験に合格し、同年から控訴人の肩書住居に居住して黒部保健所へ薬事監視員として勤務し、今日に至つている(小泉泰久が昭和四五年六月当時同大学の学生であつたこと、同人がその後薬剤師国家試験に合格し、現在黒部保健所に勤務していることは当事者間に争いがない)。

もつとも、控訴人が本件各土地上に建築計画中のビルは地上六階建のビルで、訴外小泉泰久の薬局にあてることが予定されているのはそのうち一階の一部もしくは全部にすぎず、二階ないし五階は店舗あるいは事務所として賃貸予定である。

(二)  控訴人は昭和四五年六月当時も現在も肩書住所地で、内科、産婦人科、レントゲン科の医院を開業する医師であるが、右自宅、医院の建物とその敷地である宅地1136.23平方メートルおよび本件各土地を所有する外、少なくとも富山市千石町四丁目六番一一宅地444.49平方メートル外三筆の宅地を自己名義で所有し内二筆を貸駐車場とし、他に亡父小泉義久名義で富山市千石町四丁目三番四宅地449.15平方メートル外一筆を所有しているものである。前記控訴人名義の土地の内富山市総曲輪二丁目七番三宅地178.67平方メートルには控訴人が代表取締役、控訴人の妻が取締役となり他に役員のいない訴外小泉興業有限会社が鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階付五階建のビルを所有してこれを使用し、同ビルの各部分を喫茶店、歯科医師、レコード店等に賃貸しており、空室はない。なお、同訴外会社は同市中央通り一丁目一番一二の宅地上に倉庫一棟をも所有している。

本件各土地は富山市第一の繁華街に位置し物品販売業には適した土地であり、右訴外会社所有のビルもこれに近接する繁華街に在り、その余の控訴人の前記所有地は控訴人の住宅の近隣を中心に住宅街に位置している。

(三)  亡藤江友三郎は前記甲土地賃借以来本件土地上に店舗を所有し、そこで「エドヤ洋服店」の商号で男子服、フアツシヨン商品の小売業を営んでいたもので、同人夫婦、長男である控訴人藤江武憲夫婦の外約六名の従業員を雇用して営業しており、近時本件土地上の店舗以外に量販店長崎屋内にも二階に約二〇ないし三〇坪の規模で出店しているが、本件土地上の店舗なしでは営業に少なからぬ影響を生ずる状況である。

亡藤江友三郎は昭和四五年六月当時富山市五福字新宮一七八一番二宅地1233.05平方メートルなど宅地八筆(自宅の敷地一筆を含む)、賃貸アパートを所有していた外、同人の長男被控訴人藤江武憲が同市西金屋字京平一〇〇番二山林三六一三平方メートルなど山林一〇筆、宅地一筆、住宅一棟(亡藤江友三郎一家の自宅)を、同人の二男被控訴人藤江實が宅地二筆を所有していたが、右各土地はいずれも住宅地ないしは郊外の山林であつて本件の代替地となるものではなかつた。亡藤江友三郎は昭和四八年度の申告所得が約二四七六万円にのぼり高額所得者として公表されたが、それは前記土地のうち一部を売却したことによる所得増によるもので、その前後の昭和四七年度分申告所得は約三七六万円、昭和四九年度分申告所得は約二〇七万円であつた。

(四)  被控訴人室四郎は、前記乙土地賃借以来本件土地上の店舗で「室三」の商号で呉服小売業を営んでいるもので、同被控訴人夫婦、子供二人の外二名ないし四名の従業員を擁して営業しているもので、昭和四五年六月当時も現在も本件土地上の店舗以外に店舗を有しておらず、本件土地上の店舗なしでは営業は全くできない。

同被控訴人は昭和四五年六月当時自宅の敷地である富山市大泉本町二丁目一四番六宅地580.05平方メートル等四筆の宅地(自宅)一棟を、同人の母訴外室ミサホは住宅一棟を所有していたが、いずれも住宅地であつて本件土地の代替地となるものではなかつた。

(五)  被控訴人株式会社シヤルムは昭和二五年以降本件土地上の店舗において婦人服製造販売業を三〇数名の従業員を雇用して営んでいるが、昭和四〇年五月、自社所有の富山市中央通り一丁目一番六宅地308.76平方メートル上に鉄筋コンクリート造陸屋根五階建店舗(以下シヤルムビルという)を建築し、同所においても婦人服製造卸業を営み、昭和四三年二月にはその本店も一時右ビル所在地に移転し、その社長室も右ビル内へ移された。ところが、シヤルムビル内の店舗開店による経営の拡張が思わしい結果でなかつたことから同被控訴人はやむなく昭和四五年五月ころ右建物のうち一階店舗部分を訴外株式会社銀座屋洋装店に賃貸し、昭和四八年五月一日には賃貸部分を二階店舗部分まで拡張するとともに期間を一〇年間と定めて保証金九六〇〇万円の預入れを受けて契約を更新し今日に至つている。しかし、右契約においては同被控訴人の都合で中途解約する場合には右預入保証金全額の返還と引換に賃貸部分の明渡がなされることを定めている。シヤルムビルの三階ないし五階の一部は前記のとおり同被控訴人の社長室として利用されているが、その余の部分は被控訴人の傍系会社のシヤルムユニホームおよびサロンドシヤルムに賃貸されており、昭和四五年六月以降においては同被控訴人の営業上の本拠は本件土地上の店舗にあつた。なお、シルムビルの所在地は本件土地から徒歩一、二分の距離にある繁華街であり、現に訴外株式会社銀座屋洋装店が被控訴人シヤルムと類似の婦人服販売業を行なつていることからすれば、シヤルムビル自体は本件土地上の店舗に充分代替しうるものである。

被控訴人株式会社シヤルムは右土地建物の外富山市中央通り一丁目一番一五宅地23.80平方メートルおよび同市呉羽町字水上地区に宅地九筆を所有しているが、その内中央通りの宅地はシヤルムビルの敷地に隣接し面積から見ても地形から見ても独立の利用価値は乏しく、呉羽町の宅地は富山市郊外に所在し、いずれも本件土地の代替地となるものではない。

なお、同被控訴人は昭和二五年頃から本件土地上の店舗の一部を訴外山中利貞に賃貸し、同人および同人の死後はその妻が同所において営業している。

(六)  被控訴人小西憲三は、前記丁土地賃借以来本件土地上の店舗に居住して写真館、カメラ販売業を営んでいるもので、家族五名と約五名の従業員で営業し、他に店舗を有しない。もつとも、本件土地から徒歩約一〇分位の距離にある富山市総曲輪二丁目八番五宅地94.08平方メートルは昭和二五年に同被控訴人が取得し、昭和三九年一二月その妻訴外小西むらおよび長男訴外小西滋人両名に対しその共有宅地として贈与されたもので、同地上には被控訴人小西憲三と訴外小西むらが区分所有する鉄筋コンクリート造陸屋根及び木造瓦葺三階建の事務所および店舗用建物があるが、右建物の大部分は昭和四三年五月以降訴外中田昌英に賃貸され、同人は昭和四八年にも右契約を更新して右建物で運動具店を経営していたが倒産し、その後別人に賃貸されている。右土地建物の所在地は富山市の中心部ではあるが、同被控訴人の営業には適さず、本件土地上の代替とはなりにくい。

同被控訴人は他に同市千歳町二丁目九番一に宅地を所有し、前記長男小西滋人所有の住宅も同所にあるが、本件土地上の店舗の代替とはならない。

(七)  亡藤江友三郎外三名は右のとおり昭和二一年ないし昭和二五年ころから本件各土地上に店舗を所有し、そこで現在に至るまで営業しているもので、本件各土地周辺が富山第一の繁華街となるについては同土地一帯の経営者と共に諸費用を負担して街の発展及び環境整備に努めたことが寄与していることを看過できない。

(八)  控訴人は被控訴人株式会社シヤルムに対しては昭和四五年六月ころ、本件各土地の明渡を受けて同地上にビルを建築した場合その一部を賃貸する用意のあることを示し、同様の提案は当審における和解期日においても亡藤江友三郎外三名に対してなされているが、その場合の契約内容については特別に有利な条件が提案されたわけではなく、いずれの機会においても相手方の応ずるところとはならなかつた。

(九)  控訴人は後記のとおり予備的に立退料合計六〇〇〇万円の支払いを正当事由の補完事由として申立てており、その支払いの準備をしているほか、明渡しを得た場合のビル建築資金等少なくとも一億円を越える資金を昭和四五年六月当時から準備している。

3 右2に認定した事実関係から、控訴人は本件各土地全部の明渡を受けて同地上に六階建のビルを建築しその一階部分で長男小泉泰久にドラグストアを経営させ、その余を他に賃貸することを計画しており、昭和四五年六月当時薬科大学の学生であつた訴外小泉泰久もその後卒業し薬剤師の資格を取得するに至つているものであるが、訴外小泉泰久は大学卒業後公務員として黒部保健所に勤務し一応安定した生活を送つているものであり、富山市第一の繁華街に位置する本件土地で近代的薬局を経営することが同人にとつて望ましいことではあるとしても、また、かりに同人がドラグストアを開業することを待望しているとしても、控訴人がそのために前記六階建のビルを建築すべく、各被控訴人に対し永年本件各土地上の店舗で築きあげた営業上のまた社会的な地位を犠牲にすることを強いてその店舗の収去と本件各土地の明渡を求めることを肯認するに足る控訴人の本件各土地に対する必要性を容認することは困難である。控訴人の前記認定の資産資力をもつてすれば本件土地の他に適切な場所を見出すことは必ずしも不可能であるとも認められないうえ、控訴人自身の事情をみても、開業医であり、自宅とその敷地以外に本件各土地を別にしても五筆の土地を所有して賃料収入を得、繁華街に賃貸ビルを所有している訴外小泉興業有限会社を妻と共に支配する控訴人にとつて、本件各土地の明渡しを得て賃貸ビルを建築する計画が必要かくべからざる計画であるとまでとうてい認められない。

これに対し、亡藤江友三郎外三名は本件各土地での営業により得た利益から社会一般の基準からすれば少なからぬ資産を蓄積したことは否定できないけれども、亡藤江友三郎外三名にとつて、程度の差はあるとしても本件各土地をそれぞれ使用する必要性があることは明らかである。

すなわち、被控訴人室四郎は本件土地上の店舗以外に店舗を有しておらず、その他の自己又は家族所有の不動産も本件土地にかわるものとしては不適当であり、本件土地を明渡しては忽ちその営業継続に支障を招くことは明かで、同人夫婦、子供二人の家族は元より従業員の生活に及ぶ影響は大きく、同人にとつて本件土地を使用する必要性は極めて大きい。被控訴人小西憲三が本件土地の店舗以外に写真館、カメラ販売の店舗を有することを認めるに足る証拠はなく、同人および家族所有の不動産の中に本件土地に比較的近く富山市の中心部に位置する事務所、店舗用建物があるが、必ずしも容易に本件土地の店舗に代りうるものとは認めがたく、昭和四五年六月当時は他に賃貸中であつたものであり、その他同被控訴人およびその家族所有の不動産も本件土地の店舗の代替とすることができず、結局、本件土地を明渡しては一家は元より従業員の生活に及ぶ影響は大きく、同被控訴人にとつては本件土地を利用する必要性は大きい。亡藤江友三郎は本件土地上の店舗以外に近時長崎屋二階にも出店しているので、本件土地の明渡しによつて営業が全く不能になるわけではないが、本件土地の立地および本件土地で永年営業を継続していることからすれば、本件土地の店舗が営業上に占める有形無形の重みは否定できず、その他の自己又は家族所有の不動産も本件土地にかわるものとしては不適当であり、同人にとつて本件土地を使用する必要性は相当に大きい。被控訴人株式会社シヤルムは本件土地上の店舗以外に本件土地に近接した繁華街の自社所有の土地上に五階建のシヤルムビルを所有しており、昭和四五年頃まで同ビルに店舗を開設していたもので、被控訴人会社の社長室と傍系会社はその後も同ビル内におかれており、同被控訴人会社の本店もシヤルムビルの所在地に一時登記されていたことなど、一応本件土地を明渡してもこれに代替する店舗を有しているものである。しかし、被控訴人株式会社シヤルムは本件土地の賃借期間満了の直前に経営上の理由からやむなくシヤルムビルの一階部分を訴外株式会社銀座屋洋装店に賃貸するに至つたもので、被控訴人株式会社シヤルムにとつても本件土地を使用する必要性が少なからず存するのである。

以上のような控訴人および亡藤江友三郎外三名の本件各土地使用の必要性、さらに、控訴人においては本件各土地全部を一括して使用することを計画中で、その一部の使用についてはその希望も認めるに足りる証拠のないこと、その他2(一)ないし(九)に説示した諸事情を総合すると、控訴人の本件異議には正当事由があるとはいまだ認められない。

4 控訴人は本件異議に正当事由あらしめる事情として本訴請求原因4(五)のような事実を主張し、〈証拠〉によれば、昭和四七年二月一七日本件各土地の近隣一帯が罹災した折、本件各土地上の建物のうち、被控訴人室四郎、同株式会社シヤルム各所有の建物の大半が焼失し、亡藤江友三郎所有の建物もかなりの被害を受けたこと、間もなく被控訴人室四郎および同株式会社シヤルムは富山市長の許可を得て従前の建物の残存部分と一体となる仮設建築し、亡藤江友三郎は従前の建物の修復をはかつたものが原判決別紙目録(二)1ないし3の建物であり、同被控訴人らは引続き右各建物で営業していること、右火災後同被控訴人らが右仮設建築、建物修復にとりかかろうとした頃控訴人から右三名を相手方として富山地方裁判所に対し各賃貸地の執行官保管、建築工事禁止の仮処分申請がなされ、その審理中に、右三名の借地権の存否は本案判決の確定結果に待つこととし、控訴人と亡藤江友三郎外三名間に共同ビル着工開始日までの暫定的和解が成立したこと、右火災による被害に対し、亡藤江友三郎は千数百万円、被控訴人室四郎は一二〇〇万円、被控訴人株式会社シヤルムは三〇〇〇万円の火災保険金を受領したことが認められるが右のような火災による罹災後の右処分申請、和解の成立等の事情は本件各土地の賃貸借の更新時である昭和四五年六月一日当時には予想もつかなかつた事態であり、かつ、当時から既に存在した事情や計画の発展したものとも解しがたいから、右正当事由の有無にあたつては考慮に入れるべきものではない。

5  控訴人が予備的に正当事由を補強するため亡藤江友三郎外三名各自に一五〇〇万円を本件各土地の明渡しと引換えに支払い、かつ、その明渡しを昭和五二年一二月末日まで猶予する旨の意思表示を昭和五一年八月六日の当審第五回口頭弁論期日においてなしたことは当事者間に争いがなく、控訴人が右同日に右金員の支払いと引換えに同年一二月末日限り本件各土地の明渡しを求める予備的請求を追加し、これを維持していることは明らかである。しかし、賃借人の使用継続に対する異議についての正当事由の有無を判断するについては、従前の賃貸借の期間満了時およびその頃遅滞なく異議を述べるべき時期を基準とすべきことは四1に説示したとおりであり、従前の賃貸借の期間満了から六年以上経過した後になされた前記のような意思表示および減縮された予備的請求の追加、維持を、正当事由の有無にあたつて斟酌することはできないものといわなければならず、かりに右のような事情を斟酌しても、右2に説示した事情とあわせ考えると本件異議にはいまだ正当事由は認められないから控訴人の予備的主張によつても正当事由は補完されない。

五以上のとおりであるから亡藤江友三郎外三名は借地法第六条第一項、第二項、第五条第一項の規定によりそれぞれ本件各土地につき従前の契約と同一の条件で期間二〇年の借地権の設定を受けたものとみなすべきところ、藤江友三郎が昭和五一年六月一一日死亡し、同人の妻である被控訴人藤江冨子、同人の子である被控訴人藤江武憲、同棚橋貴子、同藤江實、同藤江豊が相続により同人の権利義務を承継したことは当事者間に争いがないから、右五名の被控訴人らは亡藤江友三郎が有していた原判決別紙目録(一)1の土地の賃借権を相続したものである。

六従つて、控訴人の本件請求は当審において追加された予備的請求を含めて理由がなく、被控訴人らの反訴請求は理由があるから、控訴人の主位的請求を棄却し、亡藤江友三郎外三名の反訴請求を認容した原判決は正当で、本件控訴は理由がないのでこれを棄却し、また、控訴人が当審において拡張した予備的請求を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用し、なお承継前被控訴人藤江友三郎の死亡により承継がなされたので原判決主文第2項中同人に関する部分を主文第2項のとおり変更して、主文のとおり判決する。

(西岡悌次 富川秀秋 西田美昭)

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